ワーホリを始めたきっかけ その1
時はさかのぼりまして…20歳の頃です
大学3回生の私は海外とは無縁の日本文学大好き女でした(^ω^)
いや、大好きは言いすぎですが、とりあえず本を読むことがすきで
大学は日本文学の近現代文学を専攻していました(^ω^)
(卒論はジブリ作品「コクリコ坂から」を研究しましたw)
そんな私ですが、当時実は書道部の部長(^ω^)
日本が大好きすぎて日本のことにどっぷり浸かろうとしてたんですねー
(ちなみに高校時代は剣道部だし…)
そんな私が海外に興味を持ったきっかけはアレです
日本のガッチガチの上下関係に疲れちゃったんです(^ω^)
大学の書道部のガチガチさは異常で、先輩、OB、指導の先生たちを
壊れ物のように扱っていました(^ω^)
え、ここは会社ですか(^ω^)?ww と、まず部員はみんな聞きます
すると返ってくる常套句
「社会に出る練習だと思って(^ω^)!」by先輩
は、はあ…………ま!死ぬわけちゃうし!卒業まで耐えれるやろ!
というふうに部活を頑張っていました。
(なんか今思えばこうやって学生のうちに耐えることを学び、
社会人になってから過酷な状況から逃げることを忘れていくんじゃないかな日本人)
ですが、元々耐えることが苦手なわたし(^ω^)w
加えて京都駅近くのレストランで働いていたことも影響されました。
はい、わたしの地元、日本有数の観光都市、京都です(゚∀゚)どや
町は年がら年中外国人の観光客だらけです
特に京都駅はたくさんいます(^ω^)
したがって、わたしのバイト先のレストランにも
たくさんの外国人観光客が来店しました
主に欧米の人が多かったかなと思います
やっぱり外国人ってみんなわかってるんですね(^ω^)
ほとんどの日本人が英語を話せないことを(^ω^)
当時わたしの英語力は初心者レベルでした ←大学生だったけども
なので、コミュニケーションをとるのに必死です
でも外国人もみんな我慢強く話してくれるんですね(^ω^)
「Hey!」
「え、なになに?」
「Do you have an empty bowl?」(とか聞かれたことある気がする)
「え?え?」
「empty bowl」
「え?ええええ???」
「エンプティー ボール!」←頑張って日本語っぽく発音してくれる
「あ、もう一つ皿がほしいのか!おっけー!」
こんな感じです(゚∀゚)
それでもみんなあったかい人たちばかりで笑顔で「Thank you!」と
言ってくれるんですね。
そういえばこんなこともありました
冬の時期に西洋人の4人家族が来店したときです
「どこから来たの?」←英語話せないくせに話しかけるわたし
「イギリスだよ」
「冬は寒い?」
「寒いよ!日本はマシだよ!#$%&@:……!!」←後半聞き取れない
早口な英語で寒さを語ってくれた後
わはははと家族全員で笑っておられました(^ω^)
そんなこともあって外国の人たちって陽気でいいなーと思ったんですね(^ω^)
はい、話は戻りまして
大学の書道部にいたときですね(^ω^)
日本の上下関係のうっとおしさガチガチさに我慢できなくなったわたしは
退部することを決めました(^ω^)
当時、部長任期中ですw
作品展目前でしたw
運悪く部の創立50周年でパーティを取り仕切るなんて予定もありましたが
すべて捨てましたw
感謝するのは、そのすべて、後を引き継いでくれた同期たち
「きゃすがしたいことやってきなさい。あとは任せろ。」
と、全員が言ってくれました
素晴らしい仲間たちですね(^ω^)
社会人でこんなことしたらダメですよね(^ω^)
全く社会に出たときの練習になってないわたし(^ω^)
その後は光の速さでパスポートを取得(^ω^)
某旅行会社にてホテルとフライトを予約(^ω^)
1人でイタリア、ローマへ(^ω^)
これが初海外
このローマ旅行がなければ今の私はいないと思います。
ローマはその時のわたしにとって刺激的なことばかり
すれ違うだけでHelloと言われたり(^ω^)
レストランで皿を投げるように給仕されたり(^ω^)
鼻歌をうたいながら働いてる人を見たり(^ω^)
そこかしこで知人を見つけてハグしてる姿を見たり(^ω^)
外国って自由!!!と、感動しました。
日本ではありえないようなことばかり(゚∀゚)
あんな京都の大学という小さい世界でウジウジ生きてた自分が
馬鹿らしくなったのです(^ω^)
それがわたしが海外に飛び出すようになったきっかけです
…あらら、シンプルにワーホリに結び付けていくはずが
すごい語って長くなっちゃっいました。
後半は次の記事に書きたいと思います